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本日、復活

8月12日、《文学とダンス》vol.6

がっちり長いソロを踊るのは前回の《十年》一年目以来なので、実に一年と十ヶ月ぶりの復活舞台です。場所は《十年》のスタートをきったアトリエ第Q藝術。色々感慨深い。

当日パンフレットに記載する今後の予定をリストアップしていたら、10月から11月にかけて3舞台、そして12月に、今度こそ! の《十年》二年目。走り始めた感があります。あれだけ身体を壊した後からすると、ある意味ロケットスタートかも。

なお、今後の予定は こちら にもまとめてあります。

幸先の良いスタートが切れますように。諸々終演後に追記予定。

《ユリシーズ》ワークショップ参加

会場で購入した活動記録ブックレットの表紙。静かな、そして言葉以前の何かを深々と内包した海。

行ってきたのは6月末。《十年》に向けて、身体を立て直すための強化月間そのいち、的な。

Twitterで流れてくる言葉、モノの見方、身体の捉え方…に以前から惹かれていた最上和子さん—ご自身の踊りを《原初舞踏》として活動していらっしゃる舞踏家の方—が、舞台と映像の企画“ユリシーズ”の一環としてWSを開催するというので申し込み、運良くご縁が繋がって受講参加が叶った。もっと早く記録を書ければよかったのだけれど…なんとか1ヶ月経つ前に、感じたことを文字に落とし込めてきたという状態。

会場はOFFの日の劇場の舞台上。受講参加者の他に、20名弱の見学参加者が舞台上の上手下手に並べられた箱馬に座り、カメラが入り、つまり、受講参加者は、劇場の舞台という場で、視線に晒されて、身体に向かいあう。

だからといって、いわゆる本番前の通し稽古でもない。

休みの日の劇場、というOFFの(あるいはマトリックスとしての)世界に、“視線”というONのセッティングが持ち込まれた中で、稽古する者の意識や身体はどう変容するのか、といった実験でもあるらしい(これについては、カメラに捕らえられた受講参加者の様子を第三者として見てみないと、私自身が変化していたかはなんとも言えない感じで、というか普段からマボロシの視線をイメージして稽古している部分もあるからなぁ…)。

一方で、WSそのもの、あと、劇場という物理的な構造体(天井が高いとか、高い舞台の直下からずっと“無人の客席”という“空洞”が広がっているとか)から受けた影響が大きい。未だに行きつけない道の途中、ちょうど冒頭の写真のようなイメージの中に踏み込んで彷徨っている感じが抜けない。稽古を続けていくしかないんだろうなぁ。

【オーム斉唱】

見学参加者を含め、二重三重の円陣で座り、10分間、だったろうか、各々オームを唱える。最後の対話の時間に、“声が押し寄せてくるようで怖かった”という発言があり、“海鳴りのように聞こえることがある”と最上さんが答えていた。が、私はというと、声を出していくことで少しずつ身体の中が通り、詰まりが抜け、よく響く管になっていくのを感じながら、はるか天井からきれいなソプラノでオームを唱える声が落ちてくるのを聞いていた。そして、見学者やスタッフも含め50人もいれば鈴を振るような声でオームを唱える人もいるんだなぁ、などと呑気なことを考えていた。聴きながら声を出しているうちに、あちこちの声の高さ、息継ぎのタイミングのとりどり、ちょうどオーケストラのチューニングがある瞬間にとんでもなく複雑な重層構造になっているのが聞き取れて反射的に泣けるみたいな、あんな感じ。

【さわる と ふれる】

漢字で書いちゃうとどっちも“触”で、送り仮名があるかないかの違いくらいなのに、言葉が感覚に呼び起こしている反応がぜんぜん違う、ということ。舞台のツラに立ち、周囲…つまり劇場の壁や天井や周囲の人に対して、“目でさわって”いき、次いで“目でふれて”いく。感覚がどう違ってくるか。“さわる”とき、感覚の中に呼び起こされる、硬さ、冷たさ、布張りに見える壁の弾力、視線の先にいる人の生身のやわらかさ…モノ、としての情報量の多さ。“ふれる”と思ったら、自分の視線の圧力が急に限りなくゼロになり、かわりに“そこに何かがある”という微かな気配、そして木の匂いや埃っぽい空気の匂いなど、視覚とそれが投影された触覚以外の感覚が急に立ち上がってきたりする。舞台のツラに立つ足の感覚もほどけてくる(ふらつく人がでることがあるから、キワから1mくらいは内側に立って、とは言われていた)。これを、受講参加者20名が半々に別れて、互いの見取り稽古もする。目が鍛えられていれば、言葉が変わった時に人の身体がどう変わるかも見えたはず…

【床稽古】

10分かけて静かに脱力して床の上に横たわっていく。さらに10分間、床の上で脱力し続ける。それから10分かけて、動きを途切らせず力を使わず、どこかを支えにしたり反動を使ったり…の、立ち上がる経路のショートカットを入れずに立ち上がり、それからしばらく、身体の衝動をさぐりながら動いていく…というのが課題。手本を見せてくださった最上さんの床へ向かう脱力があまりに嘘のない、密やかで息継ぎも巻き戻しもない脱力で息を飲む。筋力やバランスで下への動きをコントロールするのではなく、静かに静かに身体から砂がこぼれるように力が抜けていくのが本当に美しくて。

いざ、やってみると、力を抜くための身体の解像度があまりに低いのを突き付けられる羽目になった。具体的には10分を知らせる鈴までかなり間を残して、床によこたわってしまった。そこから、身体中の力を探しては抜いていく。抜きすぎて意識まで半睡の状態に抜けてしまう。横たわっている間に夢まで見た。立ち上がりに入る合図の鈴はちゃんと聞いていたので、一部だけ残して深く眠ってしまったのだろう。

そこから立ちあがろうとするが、上へ向かう動きの芽がみつからない。どうにか探り当てた気がしても伸ばし方がわからない。ジタバタしながら、そういえば、と、“床に触れられている”というイメージを持ってみる。すると、不思議に床の硬さ、揺るぎなさが自分との接触面に付与されたかのように、押し上げられるようにして、身体が起き上がり始めた。イメージに愚直にあることで骨や腱や筋肉の動きも変わるのだなぁ、と、驚く。

最初でジタバタしまくったので、10分使っても立ちきれなかったのだが、フリームーブの時間の途中から音楽がかかると、音楽に感情が作り出され、感情が動きを支えて、何故か動けてしまった。感情が動いて、身体が引っ張られる。なんだかぼろぼろ泣ける。泣きながら、なんだか音楽があるってちょっと反則なんじゃないか、と突然思ってしまった。少しだけ、身体の衝動を探る作業に嘘が入った気もして。

このパートは、自分については“まだまだ修行が足りない”しかないのだけど、見取り稽古が圧巻だった。脱力して床に横たわる姿が圧倒的に美しい人、静かに解けるように脱力し、それが巻き戻るように立ち上がっていく人…。床に降りるのはバランスや筋力ではなく、本当に身体を支える力が分解していくのだということ。

【垂直の歩行】

客席、というからっぽの空間を背に、吸気とともに重力から軽く軽く浮いて浮遊状態から一歩を踏み出し、その一歩を地中深く埋めながら息を吐き、それと同時に“我はここにあり”と宣言する。そのようにして歩を進めてゆく、という課題。

ここでも実は、きちんと息が吸えない、吸ったら肩が緊張して浮き上がり広がるどころではない、降ろした足がふらつき大地に落ちていく途中で倒れそうになる…と散々で、“在るための我を確かなものにせねば”というのが自分の状態。さらに、背後に背負った“空っぽの客席”を“原初の海”として感じながら、一歩ごとに存立宣言をしながら歩いてゆく(ちょうどブックレットの表紙のような海から上陸してゆくイメージ?)、という課題に至っては、イメージが上滑りするばかりでどうしても“海を背にした身体”にならない。

しかし、見取り稽古させていただいて…こちらが凄かった。足取りの覚束なさとは裏腹に、何というか銃弾の雨の中を命懸けで真っ直ぐに進んでいくような、そんな姿で歩いてくる人たちを何人も見た。命がけで突っ立った死体、というのはあれか、とも思った。舞踏を学び始めた時にいわれた、死地にある身体、という言葉も思い出した。技術ではなく在り方が輝く、そういうものがあるのだな、と思いながらやたら泣けた。あんなふうになりたい。

そんなこんなで、5時間のWSは、未だに私の中で消化しきれていない。しかし課題をたくさんたくさん見出せた。クラスに参加するというのは自主稽古の課題と稽古方法を提示してもらうことだと思っているので、あの日、私は本当に得難い機会を得たのだ。

で、ひとまず毎日床稽古はしている。

再始動

昨年の春から配ってた予告フライヤー。日付だけ書き換えました。

昨年は、それはもう散々でした。

五月半ばにいきなり始まった腰痛、そこからの子宮筋腫と腰椎側湾、左膝半月板欠損の発覚、悪化する貧血(自覚症状はなかったけれど、実は活動量が著しく落ちていました)。

リハーサルができる状態ではなく、ちょうど1年前に《十年》二年目の2023年の上演を断念。治療に専念することにしたのでした。

その間、何もしていなかったわけではなく、6月末から7月にかけては、おかのまめさんの個展にて実父・八重洋一郎の詩の朗読、11月には山田奈々子メモリアル公演には初めて踊らせていただいた山田奈々子作品である《曼珠沙華》に(踊る時間が実質6分ならなんとかするよね! ということで)出演、そして1月には 憲法いいね! の会が主催する《非戦の見晴台から》にて、やはり八重洋一郎の詩の朗読、など、人前に出ることは出ていたのですが。

結局、あれこれあった挙句、4月初めに台湾で大量の子宮ポリープが見つかり、悪性化の疑いが拭いきれないということで、ポリープすべてと筋腫の一部を摘出。予定になかった筋腫まで切ってたのはびっくりでしたが、リアルサバサバ女子な台湾人のドクターは“まぁ大丈夫でしょ、ただしおとなしくしててね”というノリで、“そ、そんなもんか😅”と思ってるうちに、なんとなく1ヶ月半が経過。

……で。

急にめっちゃ元気になりました。ポリープや筋腫のせいで起きていた出血が止まり、術時の出血が補填され、さらに血中ヘモグロビンが正常レベルまで回復したタイミングがそこだったのだと思います。それまでもなんとなく気力は回復傾向だったのですが……

そんなわけで、色々始動いたします。まずは“今度こそ!”の《十年》二年目のお知らせ。

2024年 12月14日・15日、アトリエ第Q藝術にて。詳細後ほど。

《十年》二年目、本格始動

昨日から、稽古開始。

今年、振付を行なってくださる86B210の鈴木富美恵さんは、四谷三丁目にあるアートスペース呼応の主宰でもあります。
というわけで、そちらに稽古に行ってきました。

身体の錆を落として、切れたり絡んだりした配線をつなぎなおすようなレッスン。翌日の今日は、筋肉痛というのではなく、鍛えられていなかった筋肉や神経が回復しようとしてうごめいている、そんな感覚。

身体の中から素早く衝動を産み出し、つかみだし、反応していく。

確かに、この10月7日・8日には、まったく新しいイトカズをお見せできそうです。

午後にはアトリエ第Q藝術に本契約に行ってきました。既に日程は押さえてあったのですが、私が海外在住につき契約書を交わすのが昨日になった次第。こちらで契約書を交わすのは2回目ですが、やはり気持ちが引き締まります。

というわけで、行くぜ。

訓練從昨天開始。

今年的編導,86B210的鈴木富美恵,也是Art Space 呼応在四谷三丁目的負責人。 所以我去那裡排練。

這堂課就像從我的身體上去除銹跡,重新連接斷裂和糾纏的神経回路。 今天,在練習的第二天,我感到的不是肌肉酸痛,而是我未經訓練的肌肉和神經正在呻吟着試圖恢復的感覺。

這些衝動從身體內部迅速誕生,抓緊時間,做出反應。

的確,在10月7日和8日,我將能夠向你們展示一個全新的イトカズナナエ。

下午,我去了Atelier第Q藝術,簽署了這份合同。
我已經確定了日期,但由於我住在國外,直到昨天我們才簽署合同。 這是我第二次在這裡簽合同,但我仍然非常興奮。

現在,我們走吧!

★★★

Rehearsals began yesterday.

This year’s choreographer, Fumie Suzuki of 86B210, is also the head of the Art Space 呼応/co-oh in Yotsuya-sanchome. So I went there to practice.

The lesson was like removing rust from my body and reconnecting broken and tangled nerves. Today, the day after the practice, I feel a sensation, not of sore muscles, but of muscles and nerves that have not been trained, groaning in an attempt to recover.

The body quickly produces, grasps and reacts to the impulse from within.

Indeed, on 7 and 8 October, I will be able to show you a completely new Nanae Itokazu.

In the afternoon, I went to Atelier Dai Q Geijutsu to sign the contract.
I had already set the date, but as I live abroad, it was only yesterday that we signed the contract. This is the second time I’ve signed a contract here, but I’m still very excited.

Now, let’s go!

《十年》二年目

十年間、アトリエ第Q藝術にて、毎年違う振付家をお迎えしてソロ公演を打つ…という挑戦企画、《十年》。

二年目の振付は、国内外で活躍するむちゃくちゃクールな前衛舞踊デュオ86B210の鈴木富美恵さんにお願いすることができました! ドキドキしながら、少しずつ準備を進めています。

二年目の振付家・日程が決まりましたので、ご案内のポストカードも作成いたしました。ポストカードのデザインはチラシと同じyamasin(g)さん。一年目で、舞踏家の長岡ゆりさんに振り付けていただいた《Botanical Body》より、柴田正継さんの写真を使っていただきました…が、《十年・二年目》は、一年目とは全く違うものをお見せいたします。

毎年変わる私の身体で、毎年違う振付家と一緒に、積み重ね、引き出し、新しいものをつくりあげていく。そんな企画にしていきます。

二年目
振付:鈴木富美恵(86B210)
日時:2023年10月7日(土)・8日(日)
開場|開演
7日…14:30|15:00/18:30|19:00
8日…15:30|16:00
会場:アトリエ第Q藝術

★★★

連續十年,在Atelier 第Q藝術 ,每年將邀請一位不同的編導進行個人表演。 挑戰項目,《十年》。

第二年,我們能夠請到86B210的鈴木富美恵,一個活躍在日本和國外的更Cool的前衛舞蹈二人組,來編排這個作品! 我們能夠做到這一點! 我們很激動,正在逐步做準備工作。

第二年的編舞者和日期已經確定,我們製作了一張明信片供大家參考。 明信片是由yamasin(g)設計的,與傳單上的藝術家相同。 我們使用了柴田正継的照片,來自《植物體》,由舞踏舞者長岡ゆり編排……但在第二年,我們將展示完全不同的東西。

我的身體每年都在變化,每年都有不同的編舞者,我將建立起來,引出並創造新的東西。 這將是一個這樣的項目。

第二年
編舞:鈴木富美惠 (86B210)
日期:2023年10月7日(星期六)和8日(星期日)。
開放進場|演出開始
7日…14:30|15:00/18:30|19:00
8日…15:30|16:00
地點:Atelier 第Q藝術

★★★

For ten years, at Atelier Dai Q Geijutsu, with a different choreographer…I give a solo performance. The challenge project, 《Ten Years》.

For the second year, we were able to ask Fumie Suzuki of 86B210, a much cooler avant-garde dance duo active in Japan and abroad, to choreograph the piece! We were able to do it! We are thrilled and are gradually making preparations.

The choreographers and dates for the second year have been decided, and we have created a postcard for your information. The postcards were designed by yamasin(g), the same artist as on the flyer. For the postcard, we used a photo by Masatsugu Shibata from 《Botanical Body》, choreographed by butoh dancer Yuri Nagaoka… but for the second year, we will show something completely different.

With my body changing every year, and with a different choreographer every year, I will build up, draw out and create something new. This will be such a project.

The second year
Choreographer: Fumie Suzuki (86B210)
Date: October 7 (Sat.) and 8 (Sun.), 2023
Doors open | Performance begins
7th … 14:30 | 15:00 / 18:30 | 19:00
8th … 15:30|16:00
Venue: Atelier Dai Q Geijutsu

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